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社長 細田雅春メッセージ

自然と自然体で向かい合う 
「なぜ」を問いかけ、観察し解明する姿勢 東日本大震災が突きつけるもの

  東日本大震災から早くも2年が過ぎ、被災当事者以外の人々の中には、その悲劇の映像が遠のき始めている。しかしながら、現地の惨状は日が経つほどに将来の不安と過去の体験が重なり、ますますその重みが増しつつある。

−震災復興への道筋これから本番の覚悟

  建築界も、被災当時の衝撃に対する思いと復興への取り組みの情熱は混乱の中にあっても、熱く燃え上がっていた。次第に被害の状況が克明に見える状況になり、冷静さを持ちながらも、復興への新たな方向を見据えた議論がなされるようになってきた。その意味では、大災害からの復興への道筋の構築はまさに、これからが本番であるという思いを強くしなければならない。その覚悟が問われなければならない。

  筆者は、震災直後の寄稿文で、次のように書いた。『このような未曾有の災害がなぜ起こってしまったのか。現代社会が科学文明の下に構築してきた、安心安全とは何だったのか。原発の安全性の裏付けとは何を指していたのか。いまさら想定外という言葉を使うことがどういうことなのか。そして現代社会が絶対的に信頼を寄せていた科学技術とはどういうことだったのかを懐疑しなければならない』という主旨の一文だった。

  言うまでもなく、都市や建築は現代の科学技術の粋を集めたものであるといっても過言ではない。日本の耐震構造設計なども、そのレベルは世界でも類を見ないほどの高さを誇っている。治水、治山に対しても日本という地形の特殊性に鑑みて、これまた世界に誇れる水準にある。そしてその結果、専門家はむろんのこと、一般人にとっても科学技術に裏付けられた安心安全神話は、不動の存在として機能してきた。

−自然破壊できても制御はできない

  しかし、その不動の神話が一夜にして崩壊したのである。この崩壊は筆者の敬愛する行動生物学者・日敏隆氏の言葉を思い起こさせる。「人間は自然を破壊することはできても、自然をコントロールすることはできない」ということだ。自然の驚異に対する思いや畏怖を忘れた現代人の傲慢が自然に対する過度の自信と科学の暴走を許してきたことを再確認し、強く反省しなければならないからである。地球に住み、そこで活動をする人間の安心安全な持続性への問いを含め、人類の文明社会を過剰なまでに推進してきた科学技術万能主義の異常さを改めて再考しなければならない。

  一方、20世紀半ばまでは想像だにできなかったウェブ社会とグローバル社会の到来も看過できない。もはや、ヒト、モノ、カネ、情報は地球上を瞬時に駆け巡り、国境を乗り越えることができるようになってきたのである。その勢いは、神をも恐れぬ過信につながり始めている。そしてテクノロジーを駆使した、尽きることのない都市や建築の夢の実現など、次々に広げられる自然への挑戦が現在も試みられている。こうした人間の「傲慢さ」に対し、今回の大震災はそれを真摯に反省する契機ではなかったか。しかしながら、その反省や教訓は本当に活かされようとしているのだろうか。

−二の次になる心の豊かさ

  原発の再稼動も、時間の経過と共に容認の方向へ動き始めている。津波対策も防潮堤の高さや大きさといった技術的対策で乗り切ろうとし、津波避難ビルの建設も必要不可欠の安心安全を確保するための施設として、次々に膨大なコストを投入している現実にある。超高層ビルの技術的可能性に慢心して、人間の心の拠り所や豊かさの問題は二の次になり始めている。素直に自然の大きさに抱かれる豊かさとはいかなることなのかを、科学技術の持つ可能性や限界とともに思考し、その矛盾する葛藤の中に生きなければ、問題の先は見えてこないはずだ。こうしたアンビバレントな状況の渦中でストラグルしながら問いかけることが、われわれの眼前に迫っていることの重大さを気づかせてくれるものなのである。

  過日、偶然手にしたアメリカの都市社会学の専門家シャロン・ズーキンの書『都市はなぜ魂を失ったのか』を読んだ。彼女はその著書の中で、オーセンティシティをさまざまに定義した後に、それこそ「生活と労働の継続的なプロセスであり、日々の体験によって徐々に形成されていくもの」であることを強調しながら、その継続性が失われたときこそが、都市がその魂を失うときであると指摘している。そしてなお、オーセンティシティの実態を実証的に分析する過程で、都市を変化させているテクノロジー(科学技術)の暴走を暴露しているのである。

−自然への傲慢が悲劇を生んだ

  むろんこうしたズーキンの主張に筆者は全面的に賛同しているわけではない。新しいアイディアの中にも人類の幸せや自然への畏敬の念が深く織り込まれていることも理解しているつもりではある。しかし自然の持つ偉大さ、その継続的文脈に対して、人間の開発した偉大な力を発揮すれば、いかなることも可能であるとする傲慢な自信こそが、このような悲劇を生み出したのだと考えなければならないのではないのかということである。自然の持つ力の大きさは、いかなる人間の力をもってしてもコントロールすることはできないという前提、あるいは認識があって初めて、自然の厳しさや優しさに素直に向き合えるということではないのか。そして自然と素直に向き合い、自然界の現象に対し「なぜ」という疑問を持ち、その「不可解さ、不思議さ」を謙虚に観察し、分析、解明しようとする科学的姿勢こそ、いま問われている私たちの態度である。安全のために要塞の防壁の中で暮らすことが先決なのではない。むしろ事態の急変に対しては、いち早くその場から避難する道筋を用意していくことである。自然を征服するという傲岸な考えは慎んで、どのようにして自然と向き合っていくのかということこそ、これからの人類の最大の課題として大震災から学んだということではないのか。

  東日本大震災の教訓は何かと問われれば、筆者は、科学技術の過信への反省と自然観の再認識、さらにはこれからも継続していかなくてはならない人間の営みのあり方と、そこにどのような幸福が見出されるのかを問い直すきっかけになったことであると答えるだろう。その先に明日の、さらには未来の都市や建築の存在が見えてくるという思いだ。

日刊建設通信新聞 2013年4月18日掲載



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